ミレニアム問題に二つの主張 解けた問題は別だった
9月8日、OpenAIが強制項つきのNavier-Stokes問題を解いたと発表しました。ほぼ同時に、数学者2人も強制項つきのEuler方程式など3つの爆発を証明しています。解けた問題は別です。そして使われたのは、まだ誰も使えない社内のモデルでした。あわせて、公表までの経緯について両者の説明が一部で割れています。
まず時系列で(誰が何をしたか)
登場する人と組織が多く、順番を取り違えると意味が変わります。先に並べます。
1. 8月15日。数学者のLevent Alpöge氏(Anthropicの社員)とTristan Buckmaster氏(ニューヨーク大学の教授)が、Boussinesq方程式とEuler方程式について、なめらかな強制項つきの爆発を得ます。8月22日にLeanで検証。
2. 8月28日。OpenAIが新しい社内モデルの訓練を開始します(同社の発表による)。
3. 9月1日。OpenAIが「ミレニアム問題が2つ解かれた」という噂を聞き、未解決のミレニアム問題すべてに自社のモデルをあてる取り組みを始めます。
4. 9月3日。Buckmaster氏がOpenAIの数学者にメールを送ります(同氏の声明による)。
5. 9月5日。OpenAIのエージェント群がNavier-Stokesの解に到達。着手から約88時間。
6. 9月6日。Lean形式化と検証が完了(さらに17時間、GPT-6 Astraによる)。OpenAIがAlpöge氏らに連絡した、としています。
7. 9月7日。数学者のTerence Tao氏が、Alpöge氏とBuckmaster氏の仕事を自身のブログで紹介します。
8. 9月8日。Alpöge氏とBuckmaster氏が3本のプレプリントを公開。同日、Buckmaster氏が経緯についての声明を出します。同じ日、OpenAIがNavier-Stokesの発表を出しました。
つまり、解いたのは別々の問題です。そしてぶつかっているのは、証明の中身ではなく経緯のほうです。
3行で捉える
- 何が起きた: OpenAIが強制項つきNavier-Stokes問題の解決を発表。数学者2人は強制項つきのEuler方程式など3つの爆発を証明。Tao氏は数学者2人の仕事について「まだそこまでは達していないが、近い将来に完了することが十分に見込める」と書いています。
- どう読む: 使われたのはGPT-6 Astraより著しく高性能な、未公開の社内モデルです。5日前に「世界で最も知的」と名乗ったモデルが、もう最上位ではありません。
- 次に見る: 数学界による検証。Leanが通ったことと、数学の問題が解けたと認められることは別です。
所属テーマ
そもそも何の問題か
Navier-Stokes方程式は、流体の動きを記述する式です。飛行機の設計、天気予報、血流の研究に使われています。
未解決だったのは、こういう問いでした。なめらかに動きはじめた三次元の流体が、有限の時間のうちに速度が無限大に発散する点(特異点)を作りうるか。
粘り気があるので、普通は動きがならされていくはずです。それでも壊れるのか。およそ90年、答えが出ていませんでした。2000年にクレイ数学研究所が、7つのミレニアム懸賞問題のひとつに挙げています。
ここで大事なのは、「解決」には2通りあることです。ずっとなめらかなままだと証明する道と、壊れる例を作って見せる道。
今回はいずれも後者です。壊れる。つまり方程式が流体を表しきれなくなる場合があると示された、という主張になります。
解けた問題が、違います
ここが今回いちばん混ざりやすいところです。
Alpöge氏とBuckmaster氏が扱ったのは3つ。非圧縮性多孔質媒体(IPM)方程式、二次元Boussinesq方程式、三次元非圧縮Euler方程式。いずれもなめらかな強制項つきの爆発です。IPMについてはDiego Córdoba氏とLuis Martínez-Zoroa氏の先行研究がすでにあり、2人はその手法の変種を見つけて他の2つへ広げた、という位置づけになります。ただし声明のほうは、先行研究が到達していたのは粗い強制項までで、なめらかな強制項への拡張が自分たちの寄与だとしています。
Tao氏はこの仕事をこう評価しています。これらの著者はまだそこまでは達していないが、近い将来にその目標を完了することが十分に見込めるだけの突破をした。「そこ」というのは、強制項つきのNavier-Stokesの爆発と、強制項なしの爆発の2つです。
Euler方程式は、Navier-Stokes方程式から粘性の項を取り除いたものです。難しさの階段としては手前にあたります。
一方OpenAIが主張しているのは、Navier-Stokesそのものです。静止した状態からなめらかに始めた流体に、なめらかな力を加えると、エネルギーが有限のまま有限時間で特異点に至る。クレイの公式の定式化でいう「C」(および「D」)を立てた、としています。
あわせてOpenAIは、強制項なしのEulerも解いたとしています。こちらは100体弱のエージェントが約50時間で到達した、とのことです。
なお2人は、声明のなかで低散逸(hypo-dissipative)のNavier-Stokesについても爆発を得ていると考えていると述べています。ただしLean検証が終わっていないため、その論文は公開していないとしています。
整理すると、こうなります。Alpöge・Buckmasterが公開したのは強制項つきのEulerまで。OpenAIは強制項つきのNavier-Stokesと、強制項なしのEuler。重なっていません。OpenAI自身も「我々の証明は大きく異なり、Eulerの場合は証明された結果そのものが違う(強制項の有無)」と書き、強制項つきEulerについては2人の先行を認めるとしています。
どうやって解いたか
OpenAIの説明はかなり具体的です。
使ったのは社内のモデルで、GPT-6 Astraより著しく高性能だとしています。8月28日から訓練を続けていて、訓練は現在も進行中、性能も上がり続けているとのことです。
やり方はエージェント群です。道具として、キャッシュされたインターネットを読む機能とコードを実行する機能を与え、グループに分けて、グループ内で通信させる。Navier-Stokesを出したグループは、おおよそ1万体の同時稼働エージェントでした。
問題文の変種を、グループごとに変えて渡しています。証明に至る「A」「B」と、反証に至る「C」「D」を別々のグループに配った、と。
途中でCodexを使ってグループ間の有用な洞察を統合し、それを次の指示に混ぜています。Navier-Stokesを解いたグループは、この方法で導かれたとのことです。
規模の数字も出ています。全問題を通じて490万件のメッセージと約3000億の出力トークン。Navier-Stokesだけで270万件と約1300億トークン。
そしてLean形式化と検証に、さらに17時間。ここはGPT-6 Astraが担当しています。
安全面については、フロンティアモデルの評価に適用しているのと同じ厳格なセーフガードを常時維持したとし、監視と隔離を挙げています(サンドボックスとは)。
今日いちばん引っかかったところ
数学の中身ではありません。この結果を出したモデルを、誰も使えないことです。
GPT-6 Astraが公開されたのは9月3日でした。「世界で最も知的で、最もアラインしたモデル」という名乗りつきです(詳細)。
その5日後に、「それより著しく高性能な社内モデル」が出てきました。提供の予定は書かれていません。価格も、審査つきの経路も、時期もありません。提供条件が「なし」です。
先週この欄で、1つのモデル名が誰にどこまで開くかで何段にも分かれたという話を書きました(週次)。今日はその上に、もう一段見えたことになります。名前すらついていない段。
もう1つ、日付が引っかかります。当サイトは9月2日に、OpenAIが止めていた学習を8月28日に再開したと書きました(詳細)。今回の「8月28日から新しい社内モデルを訓練している」と、日付が同じです。同じ学習を指しているとは、どちらの文書にも書かれていません。ここは重ねずに、日付が一致するという事実だけ置いておきます。
経緯について、説明が二つあります
ここは慎重に書きます。片方の言い分と、もう片方の言い分が、一部で食い違っています。どちらが正しいかを当サイトで判定することはできません。またBuckmaster氏の声明は本人の記憶と解釈にもとづく一方的な文書で、第三者による検証は行われていません。
まず、食い違っていないところから。最初に連絡したのは9月3日のBuckmaster氏で、これは声明にあります。OpenAIの発表文は「最初の接触はこちらだ」とは書いておらず、9月6日に共同での公表を申し出るために連絡したと書いています。この2つは両立します。
OpenAIの説明。9月6日、自社の作業とLean検証の完了後に、噂から相手も解を持っていると考えて連絡し、並行しての公表と、共同発表で先行を認めることを申し出た。そこで相手の成果が強制項つきEulerだと分かった。話し合いのなかで使ったプロンプトすべてと、のちに証明を見せることを申し出たとしています。
Buckmaster氏の説明。示されたプロンプトは1つで、証明は見ていない。提示されたのは2案で、①自分たちがEulerを出し、翌日OpenAIがNavier-Stokesを出す ②Eulerを出したあと、自分ひとりでOpenAIのモデルが解いたと認める論文を書く。両方断ったとしています。
そして同氏は、OpenAIの担当者(声明では実名)からAlpöge氏を著者から外したいと2度言われ、理由としてAnthropic所属が挙げられたと書いています。OpenAIの発表文にこの点への言及はありませんが、両方の文書は同じ9月8日に出ているので、発表文が声明に答えていないのは時系列上あたりまえです。
つまり残る食い違いは、提示された案の中身(並行公表の申し出だったのか、翌日に出す・単独で書くの2案だったのか)と、開示された範囲(プロンプトすべてか、1つだけか)の2点になります。著者の扱いについては、一方だけが述べている状態です。
データについて。Buckmaster氏は、プロジェクトの下書きをすべてCodexのセッションに入れていたとし、学習に使われたかを尋ねたが回答が得られなかったと書いています。OpenAIは発表文で、公開されるまで相手の仕事を一切見ていない、特定の利用者データにはアクセスしていないとし、そのうえで「可能性は低いが、彼らによる当社製品の利用から得られた非識別化データがモデルの改善に役立った可能性は排除できない」と書いています。
Buckmaster氏自身が、声明でこう断っています。私が主張していないことをはっきりさせておきたい。OpenAIの証明は見ていない。彼らのモデルが何をどうしたかも知らない。我々のデータが使われたかも知らない。誰かを告発しているのではない。言われたこと、その時期、提案された内容を述べているだけだ。
そのうえで、こうも書いています。もし本当にOpenAIのモデルがNavier-Stokesまでの隔たりを埋めたのなら、それは目覚ましいことであり、経緯をそのままにして、彼らの口から大きく語られるべきだ。
公平のために
OpenAI側にも、書かなくてよかったことが書かれています。
1. 非識別化データの可能性を自分から書いている。「排除できない」と書く義務はありません。
2. 相手の先行を認めている。強制項つきEulerについて、2人の仕事の先行を認め、その数学的な達成を称える、と書いています。
3. ミレニアム賞は請求しないと明記している。賞金はクレイ数学研究所によれば100万ドルです。
4. 経緯を細かく書いている。噂を聞いて始めたこと、まず簡単な問題から入ったこと、グループ間の洞察をCodexで統合したこと。発表文は「モデルに問題文を渡しただけ」という語り方をしていません。ただしこの点は、Buckmaster氏の声明が「非公開の場では、社内の研究用モデルに問題文を渡しただけだと言われた」「人の入力はごくわずかだと聞いていたが、そうではなかった」と述べており、説明が割れているところでもあります。
Alpöge氏とBuckmaster氏の側も、自分たちのAI利用を隠していません。Claude、Codex(GPT-5.6 Sol、のちにAstra)を使ったこと、Astraについては書き上げと議論の監査にのみ使ったことを書いています。
そして功績の帰属についても、この計画は我々が始めたのでも、大規模言語モデルが提案したのでもないとし、基本的な着想をCórdoba氏とMartínez-Zoroa氏に帰しています。
なおBuckmaster氏は、自分たちのEulerの書き上がりについて「AIの垂れ流しとしか言いようがない。申し訳ない」とまで書いています。ただし本人は、その理由を外部からの圧力によって、消化と推敲が終わる前の公開を余儀なくされたことに帰しています。Tao氏も同じ趣旨で「外部の出来事のせいで、完全に消化・研磨される前の暫定的なプレプリントの公開を余儀なくされた」と書いています。
割り引いて読むところ
1. 数学界の検証はこれからです。Leanが通ることと、数学の問題が解けたと認められることは別です。Leanは書かれた形式的な主張が、書かれた前提から従うことを確かめます。その形式的な主張がクレイの問題文を忠実に写しているかは、人が判断します。
2. OpenAIの証明は、外部の数学者にまだ読まれていません。Tao氏は9月7日の記事でAlpöge・Buckmasterの仕事を扱っていて、OpenAIの発表には一切触れていません。時期が後なので当然です。
3. 内部モデルの性能は、外から確かめられません。「GPT-6 Astraより著しく高性能」の根拠は自社のベンチマークです。
4. 経緯の説明が、一部で割れたままです。提示された案の中身と、開示された範囲。この2点です。著者の扱いについては、一方だけが述べています。
5. 「AIが単独で解いた」ではありません。両陣営とも、人が問題の変種を設計し、指示を書き、途中の結果を選んで次に渡しています。OpenAIは「これは数学者とAI研究者による相当な作業を表す」と書いています。
読者への影響
使えるモデルが増えたわけではないので、直接の影響はありません。ただ、読み方が3つ変わります。
1. 「最新モデル」の意味が変わりました。公開されているいちばん上のモデルが、その会社のいちばん上とは限らない。今回それが数字つきで見えました。導入の判断をするとき、比べる相手は使えるものどうしです。
2. 規模で殴る解き方が現実になりました。1万体の同時エージェント、1300億トークン。これは費用の話でもあります。2日前の9月6日にOpenAIが公開した別の資料では、社内の中央値のリサーチャーが1日あたりAPI価格で600ドル超、上位1割は1日7000ドル超を使っているとされています。賢さを買う単位が、人数から計算量に寄っています(AI利用のコスト管理)。
3. AIに下書きを入れる場所を考える機会になります。今回の食い違いの核心の1つは、下書きをどこに置いていたかでした。競争相手が同じ道具を提供している場合に何が起きるか、という問いは残ります。契約上の扱いは会社と契約によって違うので、自社の条件を確認しておく価値があります(セッションとデータの扱い)。
どう読むか
Tao氏が書いた一文が、いちばん落ち着いた位置にあると思います。
主要な着想を要約して光を当てることこそ、この種の仕事の主な価値だと考えている。これらの問題を実際に解くこと自体は、数学的な理解と洞察を育てるという本来の目標に対する、代理の目標にすぎない。
問題が解けたかどうかは、これから数学者が読んで決まります。そこは急いでも縮まりません。
そのうえで、当サイトの関心から言うと、今日の話の芯は数学の外にあります。提供されていないモデルが、提供されているモデルより著しく上にいるという状態が、数字つきで見えたことです。
先週までは、1つの名前が権限と速度と価格で何段にも分かれる、という話でした。今日はその外側に、名前も価格も提供条件もない段があると分かった。使う側から見ると、比べられる範囲の外で性能が動いているということになります。
次に見ること
第一に、数学界の反応。Tao氏をはじめとする専門家がOpenAIの証明を読んだあとに何を書くか。ここが本番です。
第二に、Lean形式化の中身の検討。形式化された主張がクレイの問題文と一致しているかが、外部から点検されます。リポジトリは公開されています。
第三に、内部モデルの扱い。公開されるのか、審査つきの経路で開かれるのか、非公開のままか。OpenAIは「このモデルを理解することに注力し、そこから学んだことを、能力のさらなる前進をどう導き、どう加減するかに使う」と書いています。
第四に、経緯についての続報。OpenAI側が著者の扱いについて何か述べるか。両者の説明が食い違ったままか。
第五に、強制項なしのNavier-Stokes。Tao氏は、強制項なしの爆発も近い将来に見込めると書いています。今回のどちらの結果も、そこには届いていません。
前後の流れ
週次: 同じモデルに名前が二つついた週 / GPT-6 Astraは1つの名前で何段にも分かれている / OpenAIがAstraを初のCritical認定 止めていた学習は8月28日に再開 / Googleの防御用AIは軽量級 / ハーネスとは / システムカードとは
OpenAI公式ブログ(一次ソース・Navier-Stokes) 同(9月6日・研究の加速) Terence Tao氏のブログ(9月7日) Tristan Buckmaster氏の声明(PDF)